グローバル化が進み、仕事で英語を使う人が増えてきました。
それにつれて、以前に比べて英語での応対や、メール等の読み書きに抵抗がなくなってきた人も少なくないと思います。
一方で、翻訳ソフトやポケトークなどの機械翻訳ツールの発達も著しく、ビジネスで活用されるシーンが増えてきました。
この機械翻訳、とても便利である反面、大きなリスクを抱えていると考えられます。
今回は、英語で仕事をする人が翻訳ツールに頼る危険性について考えてみたいと思います。
20年前は実用レベルに達していなかった翻訳ソフトが・・・
私が仕事で英語を使うようになったのは20年ほど前のことです。
当時はTOEICの点数も600点に満たないレベルで、英語での応対に四苦八苦していました。
ある時ウェブ上で無料で使える翻訳ツールがあることを知り使ってみたものの、和約された文章のあまりの意味不明さに唖然としたものです。
文章が稚拙だとか意味を取り違えているとかいう問題だけでなく、文章として成り立っていないことさえ少なくなかったのです。
翻訳元の文章の主語述語をはっきりさせたり、句読点を追加するなどして整えてあげれば何とか見られるようになることもありましたが、実用には不向きな代物だったと思います。
それから20年余り、翻訳ツールは飛躍的な発展を遂げ、無料の機械翻訳でもかなり実用性の高いものになってきました。
と何気なく書いたこの文章を、Google翻訳にかけてみます。
Over the past 20 years, translation tools have evolved dramatically, and free machine translation has become quite practical.
どうでしょう。見事なものです。
意味としてはほとんど完璧に伝わると思います。
複雑な言語の変換をどうやったら機械でここまで上手にできるのか、私には皆目見当もつきません。
上記はGoogleのオンライン翻訳の例ですが、他にもウェブサイトやメールを丸々翻訳してくれるツールや、マウスオンで訳語が出てくるものなど、いろいろな便利ツールが登場してきました。
ポケトークのように音声入力を翻訳してしゃべってくれるものもあります。
個人的には使ったことがありませんが、技術的には同じレベルの翻訳ができるはずだと思います。
まったく英語が話せなくてもメールのやり取りや英会話がスムースにできる。
便利な世の中になったものです。
翻訳ツールに頼りっきりになることの是非
以前は英語で仕事をするなら何とかして身につけなければならなかったわけですが、これだけツールが発展すると、ツールに頼って仕事ができてしまうようになりました。
その結果として、日常的に英語で仕事をしているにもかかわらず、自力では書いたり話したりできない人が増えてきているように感じられます。
技術の発展が人々がスキルを身につける機会を奪ってしまっている、と言えるかもしれません。
ですがこれを否定ばかりもできません。
いまや常にスマホでオンラインになれる時代です。
いつでもどこでもツールを持ち歩いていられるのであれば、スキルを身につける必要性などないのかもしれません。
なんだかこれに似た議論があったような気がするな、と思い出されるのが「電卓」です。
電卓があれば面倒な計算だって一瞬でできてしまうのだから、算数のドリルで3桁の掛け算を延々と繰り返すことなんかないじゃないか、という議論です。
そうした考え方のもとに、小中学校のテストでも電卓の持ち込みが許可されたりすることもあるようです。
「最近はパソコンばっかりだから漢字が書けなくなったよなあ」
などというぼやきも同じようなものですね。
機械やAIがどこまでやってくれるから、人間はここから先をやればいい、というような棲み分けは、時代とともに常に変わり続けていくのでしょう。
しかし、です。
やはりだからといって英語のスキルを身につけずに、翻訳ツールばかりに頼りすぎるのにはリスクがあると思います。
ではいったいどんなリスクがあるのでしょうか?
翻訳ソフトやポケトークに依存することの懸念点
英語で仕事をする人が翻訳ソフトやポケトークに依存することの問題点を考えてみます。
機械翻訳ならではの間違いがある
まず、今日の翻訳ツールがいかに優秀とはいっても、もちろん間違いはあります。
というかそもそも、言葉というのは複数の取りようのある場合も多く、文章を理解するという事は複数通りある意味のどれかを選ぶことでもあります。
そういった意味では人間が母国語同士で話していても間違うことはありますが、それを補うために前後の文脈を考慮したり、表情や強弱から読み取ったり、訊き返して確認したりしているのです。
この点で、現状では機械翻訳はまだ人間に比べて大きく見劣りしています。
複数の取り方のできる文章の一例です。
I know Akiko is seeing Takashi.
普通に考えれば、「あきこがたかしと付き合ってるの、知ってるよ」となります。
しかしこれをGoogle翻訳にかけると、
「あきこがたかしを見ているのを知っている」
となりました。
文章としては間違っていませんが(あるいは前後の状況次第で正解かもしれませんが)、原文で意図されていた意味と違っている可能性が高いです。
あるいはこんなことわざはどうでしょうか。
「急がば回れ」
これをGoogle翻訳で英訳してみると、
Hurry
と返ってきます。
「慌ててことを行うよりも回り道した方が早いこともある」という意味の原文に対して「急げ」というのは、どちらかというと逆を行ってしまっていますね。
AIの間違いに気付けるのは人間のスキル
そういったAIの誤りに気付けるのも人間のスキルなのですが、AIに頼ってばかりいる人はいつまで経ってもそのスキルが身につきません。
実際、何年も英語で仕事をしているのに(機械翻訳によってメール応対などの業務は問題なくできているのに)、自力ではほとんど英語の読み書きができないという人もいます。
前述したとおり、人間にもAIにも間違いはあります。
ただこっちの意味で言ったのか、あっちの意味で言ったのかと、分からないなら分からないなりに話を進めていくのが人間です。
それに対してAIは確率論でどちらかを明確に選んでしまいます。
今のところそれを正すには、一定以上の英語力を身につけて間違いに気づくことができるようになるしかありません。
英会話には個性と瞬発力も大切
間違いだけではありません。
英会話を翻訳ツールを通して行うことで失われるものが2つあります。
「個性」と「瞬発力」です。
話す言葉の選び方は個性そのものです。
翻訳ツールを通すことでその個性は完全にではありませんが薄まってしまいます。
また、言葉そのものだけでなく、アクセントや強弱のつけ方、表情なども多く情報量を含んでいます。
こればかりはAIで賄うのが非常に困難な部分だと思います。
またツールを通すことでタイムラグが生まれますので、会話にテンポができません。
これは非効率であるだけなく、感情や笑いの共有も妨げてしまうので、会話そのものも弾まなくなってしまうでしょう。
まとめ-とはいっても翻訳ツールの社会的貢献度が高いことは否めない
これら懸念点の中には、部分的にせよ今後技術で解決できるものも間違いなくあると思います。
人間だって会話や読み書きから学習を繰り返すことによって言語やコミュニケーションを身につけてきたのですから、AIの学習能力でそれに近いことはできるかもしれません。
どこまで技術で解決できるのかは未知数です。
ただ、AIは万能ではなく、おそらく今後も万能にはなりえないでしょう。
である以上、やはり人間がスキルを身につける必要性はなくなりません。
今回は翻訳ツールに頼りっきりになることのリスクについて考えましたが、これも今日の翻訳ソフトがあまりにも優秀だからです。
グローバル化が進む中でそれがもたらす社会的貢献度は無視できないものです。
頼りっきりになるのではなく、人間とAIが切磋琢磨して足りないところを補うような関係になるといいですね。